皆様こんにちは。
加藤(R)です。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源として大きな地震が起きました。
6500人近い人々が犠牲になった阪神淡路大震災です。
当時の自分は高校生で、朝のニュースで流れる燃え行く街並みと倒れた高速道路を見ながら「大変な事が起きた・・・」と呆然としていた記憶があります。
あれから17年・・・月日が経つのは本当に早いものだと実感しております。
今日は被災地に真っ先に乗り込み、
被災された方々の心身の支えになった方々の心温まるお話をご紹介したいと思います。
それは自衛隊の方々です。
延10万人にものぼる隊員を派遣(日本にいる全隊員の3分の1!)
真冬の凍てつく寒さの中、擦り切れて穴が空いた手袋で水の中を探し救助作業を行いました。
救助された人命は10,000人以上にものぼります。
以下は阪神淡路大震災の救助作業に当たった自衛隊の方々が
撤収する際のお別れ会での一幕です。
「若者の代表として一言だけ言いたいことがあります。」
焼け野原に立つ避難所の一角で、
その青年は拡声器を握りしめて話始めた。
真っ赤に泣きはらした瞳から流れる涙を拭いながら
絞り出すように、しかしはっきりと話を続ける。
「これから僕らがこの神戸を
立て直して行かなければなりません。
その後ろを押してくれたのが
自衛隊の人たちです。」
周りにいた大人たちも涙を流し
そして思わずきょう別れる事になった
陸自・災害派遣部隊の人々に駆け寄る。
「長い間、ありがとうございました!」
青年はそう叫ぶと、
一人の自衛官の胸に飛び込み、
そして声を出して泣きだした。
自衛官も頼もしい腕で抱きしめ、共に泣いた。
”自衛隊さん、ありがとう”
そう書かれた横断幕が風で揺れる中、
自衛隊最大の任務はここに幕を閉じた。
興味のある方は以下の動画でご覧になってみてください。
http://www.youtu.be/watch?v=Ix4SPzxerxg&feature=related
今回の大震災でも被災された多くの方々が自衛隊に助けられました。
自衛隊に限らず多くのボランティアの方々や地元で奮闘していいます。
多くの人々が助け合い、支えあい、難局を乗り越えようとしています。
何かあったときに頼れるのは、やはり人と人とのつながりではないでしょうか?
この動画を見た時、人は決して一人で生きているのではないと再確認いたしました。
そう考えると当たり前に生きていることが、実は当たり前ではないと思えるようになりました。
私の子ども達には、食べ物は自動的に出来て、いつでも食べたい時に好きなだけ食べれるものではないんだよ、と教えています。
土があり、太陽があり、雨があり、生産者さんがいて、それを流通させる人々がいる。
食べ物だけではありません。今身の回りにある全てのものは、全て一人では作れもしないものばかりです。
だから感謝を忘れてはならないと言い聞かせています。
(自らの戒めも込めてますが^^;)
大寒に向け益々寒さが厳しくなりつつありますが、
感謝の心を胸に一日一日を大事に過ごしていきたいものですね。
加藤(R)